鎌倉の材木座にある光明寺は、浄土宗の大本山です。前には波しずかな鎌倉の海、後ろには松籟響く天照山をひかえ、稲村ケ崎をへだてて、はるか富士の霊峰を望む景勝の地にあります。
当山は、天照山蓮華院光明寺と称し、浄土宗第三祖良忠上人の霊跡です。創立は鎌倉時代の寛元元年(1243)と伝えられ鎌倉幕府の執権職、北篠経時公の開基です。経時公の法名は蓮華寺殿安楽大禅定門と申します。次の執権北條時頼公を始め、歴代の帰依あつく、七堂伽藍次第に完備し、学問修業の道場として寺門は栄え、全国より学侶集まり、後花園天皇は天照山の掲額を、後土御門天皇は、関東に於ける念佛修業の根本道場として「関東総本山」の称号を下され、国の安寧と万民の平和を祈る「勅願所」とされるに至りました。
開山良忠上人は、滅後、伏見天皇より「記主禅師」の謚号を賜り、その著書は百巻に及び、今もなお末代の規範とされております。
禅師及び門弟によって、念佛信仰は関東・東北から関西に弘まりました。禅師は弘安10年(1287)7月6日89才の高齢で入滅されました。かの文永・弘安の国難の後に相当します。以来法灯絶えず現在の法主は第百十一世です。
光明寺の十夜法要は特に全国的にも有名で、当山第九代の観誉祐崇上人が、後土御門天皇の勅命により明応4年(1495)清涼殿に於いて引声阿弥陀経・引声念佛による法要を厳修したことにより、光明寺で十夜法要をつとめることが許され、今に古式を伝えて 10月12日より15日に至る間、盛大に行なわれています。この期間、沿道には植木市や露店なども並び、堂の内外は、参拝の人の群れでうずまります。

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