法然上人が比叡山を下られてから最も長く住まわれた吉水の庵室、また四国流罪を許されてから住まれた大谷の禅房のあとで、後に、勢観房源智上人が建立した寺である。うしろの山を華頂山といいその山麓に上人の御廟があり、上人入滅の地であり、念仏する人のふるさとで、浄土宗にふさわしい大殿堂が建ちならんでいる。これらの堂宇は、徳川秀忠、家光によって建立されたものである。
この寺は華頂山知恩教院大谷寺というのが正しい名である。大殿堂はほとんどが重文であり、小堀遠州作の庭、大小方丈の襖絵は狩野派一門の筆になり、宝物には48巻伝、早来迎図、隆信の御影など多数の重文がある。
附近には第13番清水寺阿弥陀堂、第24番大本山黒谷金戒光明寺、第22番大本山百万遍知恩寺、第20番誓願寺などがある。 |