元起立は信誉以八上人であるが、武州川越蓮馨寺の第2代善蓮社然誉文応上人が、当地に来て草庵を結び、弘誓山迎接院願行寺と号した。これが天正元年といわれている。
以八上人は池田氏宅に滞在された。池田氏は藩主に遠慮して、野田氏と改名をする。野田氏は「お種」のことを話すと、以八上人はお種が蛇身であると言われ、48日の別時をされ、お種は成仏した。この時の本尊阿弥陀如来と、自筆の一枚起請文が現存している。
観世音菩薩縁起……明和5年秘仏許可
正親町天皇の御代に下味野村篠田の観音寺からの出土で因幡誌にある。因幡33番西国25番の札所となっている。
当願行寺は、一行寺の末寺であったが、安政2年8月に直末料金82両を本山に納入して本山直末となる。
本堂は貞享元年2月15日起工、元禄6年竣工、享保19年に新築、元文2年8月11日竣工、弘化4年総瓦、昭和22年震災復旧である。
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